一乗院では「易占」により、神さまのお告げを伺い
問題解決や人生好転のお手伝いをさせていただいております。
これまでの鑑定やご祈祷をご紹介します。

※橘住職の取材をもとに加筆&執筆いたしました。

お寺とは、家族や友人にもいえない悩みごとやお困りごと、
家族の問題、親族や親子関係などを相談できる場でもあります。
努力や考え方などといった個人の努力だけでは
解決できない問題がたびたび起こるものです。

「なんで私だけ?」とご本人も思うほど
生まれた瞬間から数奇な運命の方もいらっしゃいます。
人にはそれぞれ、持って生まれた「宿命」というものがありますし、
またその原因がご本人によるものではない場合も、多々あるものです。


鑑定例●

飲食店を開業されて数年のご夫婦。
商売がなかなか思うように軌道に乗らず、
水漏れや故障など、家主とも何かとトラブルが続くとのこと。
土地か建物に憑いた悪いものがあるのかと、
お店のお客様のご紹介で一乗院におみえになり
店舗のお祓い、または厄除の祈祷をご希望でした。

災難が続く場合は、「障り」の原因がどこにあるのかを探ることです。

お話をお聞きするうち、結婚前、まだ若くて料理人の修行中だったころ
子を授かったものの、収入も不安定であったため
とても育てられない状況で
生まなかったことがわかりました。

それも、周囲の反対が強く、
大変悩んで判断するのに時間がかかり、
妊娠中期以降の手術だったとのこと。

「命として宿ったのに生まれてこられなかった」
「この世に産んでもらえなかった」
強い悲しみと憤りの念が
障りとなっていたのです。

どんなにやむを得ない事情であっても
生まれてこられなかった魂の嘆き、
親に捨てられた子の傷や悲憤は、
はかり知れないものがあります。

何よりも、水子の供養をおすすめし、
この世に生まれてこられなかった魂を
神仏のお力をお借りして
あの世にお返しするご祈祷をいたしました。


鑑定例●

ある20代の男性は、車やバイクでよく事故を起こすため、
心配された雇い主に連れられて一乗院に来られました。

子供のころ児童養護施設に預けられて
「いつか迎えに来る」といって
それっきり二度と会いに来なかった父親を
心から憎んで育ったといいます。
母親は夫の暴力から逃げるために家を出ていたので、
子どもの自分もたびたび手を挙げられたことも。
「いつか親を探し出して殺してやる」というほどに
強く膨れ上がった憎しみは、相当なものでした。

憎しみや妬み、嫉みといった感情は
持ち続けていても、何も生まれない感情な上に
それどころか
自分自身の身体に障りとなって返ってきてしまうのです。

ずっとつらかった、誰にも言えなかった、
親に捨てられて痛んだ魂の傷と怒りを浄化するために
一乗院にてしばらく毎月の御祈祷をさせていただきました。


鑑定例●

愛知県にお住まいの50代のご夫婦。
亡くなった息子さんの供養と弔いのために
年に一度、一乗院へお参りにいらっしゃいます。
初めておみえになった数年前は、
突然20歳で自死してしまった息子さんへの
「わかってあげられなかった」
「そのことで追いつめた、死なせてしまった」
激しい後悔と自責の念で、おふたりともつぶれそうな状態でした。

本当につらかったね、ごめんね、
どれだけつらかったか、私が知ってるからね。
亡き人を想い、一緒に祈り、神仏を通して語り掛ける、
故人の気持ちに寄り添い魂を弔うことを「追善供養」といいます。

もともと人嫌いな方で社交的ではなかったというご婦人でしたが
供養を重ねるうち、社会に出て人の輪に参加するようになり
「最近は別人のように明るくなった」というご主人の話が印象的でした。
鑑定では、家の外に出て人に会ったほうがいいとのお告げだったのです。
そして追善供養は、自身の「修行」でもあるのです。

ご祈禱には、「段階」があるのです。
鑑定をさせていただくたびに、そのことに気付かされております。

※文:天祐