「修験道」とは 
密教と山岳信仰が結びつき、日本で発展した仏教

修験道とは、
大陸より渡来した仏教の教えである「密教」に
日本古来の「古神道」と「山岳信仰」が結びついて、
平安末期に成立した仏教の一派です。

修験道は密教の教えに基づくため
神仏習合の道として神仏いずれにもお仕えし、
大宇宙・大自然の中で生かされていることに感謝し、
あらゆる生命・魂を尊ぶ「山伏修験」に属します。

また修験道は「山岳宗教」とも呼ばれ、
実際に深山幽谷(しんざんゆうこく)に入って修行することで
巨岩や大木から特別なパワーをいただき
大自然に向き合うことで神秘的な力を得て、
自他の救済を目指すといわれています。

大峰山奥駆修行イメージ写真 役行者と密教の修験道

修験者は白い装束に身を包み、お経を唱えながら
大自然に身を置いて過酷で厳しい道なき道を歩み、
拝所・霊所を巡拝しながら急峻な山々を歩く「奥駈(おくがけ)修行」により自己を探求します。

修験道の聖地「大峯山」

修験道の聖地である「大峯山」は、ひとつの山の名称ではなく
大峰山熊野から吉野まで連なる山脈の総称で
「紀伊半島の背骨」とも呼ばれています。
この紀伊半島の半分を占める山々は、神話の時代から
「神々が鎮まる特別な地域」とされ仏教の修行場となっています。

大峰山とは紀伊半島の半分を占める山々の、熊野から吉野まで連なる山脈の総称です。神々が鎮まる仏教の修行山の写真です。

この日本最古の修験道の山々には
「吉野・大峯」「熊野三山」「高野山」の三つの霊場と、
それらの霊場に至る「参詣道」があります。
この「道」は、2004年にユネスコの世界遺産に登録されています。

大峰山での奥駈修行中に聞こえた「不動明王様のお声」

大峰山の南端にある熊野と、北端にある吉野の二大聖地を結ぶ
180キロの尾根道が「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」です。
この尾根道は「峰入り」と呼ばれる山岳修行の名門ルートで
長久年間(1040~1044)に修験者(義叡と長円)により開かれたと伝わっています。

一乗院主・現住職の橘 榮徳も、大峰山での奥駈修行を重ねました。
僧侶になるための修行中、
20代半ばにはじめて訪れた大峰奥駈修行は
どんな体力自慢の若手修行僧でも音を上げるほどの険しさでした。
「人間の無力さ」「恐ろしいほどの大自然」を思い知る山伏体験だったのです。

思わぬ怪我をしたり故障する者が続出し、棄権する者も。
自身も、予想を上回る険しい山道を進むうちに靭帯を損傷し、
足を引きずり、時に倒れそうになりながら進みました。

誰も助けてくれず、誰も助けられず、また誰も頼れない環境で
激痛に耐えながら、集団からどんどん遅れ、また集団ではなくなっていく。
もし途中でやめたら、また最初から出直すことになる……。
ここで帰るわけには、やはりいかない……。

なんとしても進もう、この修行はやり切ろう、歩きぬこう。

「六根清浄」「南無大師遍照金剛」
「おん あぼきや べいろしやなう まかぼだら
 まにはんどまじんばら はらばりたや うん」

「のうまく さんまんだーばー ざらだん
 せんだん まーかろしゃーだー そわたやうんたらた かんまん」

何も頼れるものがない中、自分を信じる強さもなく、
あらゆる真言を唱えながら手に印を結び、
神仏を想い、ひたすら進むうちに
いつしか肉体の痛みを忘れる無の境地になっていました。

そのとき、ふと耳のそばでお声が聞こえたのです。

「すすめ、すすめ」

大峰山 六根清浄をとなえて険しい山道を進む修行のイメージ写真 静岡市清水区 真言宗一乗院

「進め」

それは、お不動様のお声、
不動明王さまのお言葉でした。

その頃の一乗院は、名ばかりの寺院でした。
江戸時代より栄えた寺院でしたが
当主を継ぐ順位の者に次々と不幸が続き、
枯れゆくように衰退して
30年以上も休院している状態だったのです。

母は9人兄妹の真ん中でしたが、長兄次兄を失い、またその子らも不随になり、
一乗院を継ぐ順になり婿養子を迎えて私が生まれました。
ところが父は入り婿からわずか数年後、まだ30代前半の若さで
交通事故であっけなく亡くなってしまったのです。

以来、折々に「この家には何か因縁がある」と祖父に聞かされて育ち、
その祖父もまた、婿養子として一乗院に入った人でした。
いつからか「自分も早くに死ぬ運命なのでは」という
闇のような不安に襲われていたのです。

ひとまず会社員の道を選んだ私が25才になったとき、
休業状態の寺院を継ぐのか、
そうでなければ寺院をつぶして静岡から出ていくか、という選択を迫られました。

自分にこの廃業同然の一乗院を本気で継ぐ気があるのだろうか、
どうすればいいのだろう、今後どうやっていけば……
寺院を継いだ瞬間、事故か何かで自分も死んでしまうのではないだろうか……

「継がない」選択肢も怖ければ、「継ぐ」ことも怖い。
迷いだらけの新人僧侶の、初めての「大峯奥駈修行」だったのです。
「とりあえず僧侶の資格をとっておこう」という修行の段階でした。
偉大なる自然の恐ろしさを感じる中で
怪我の痛みに耐えながら、死ぬことはなく歩いている。
それは「死んでしまうのではないか」どころか
「生かされている」としかいいようのない状況だったのです。

「進め、進め」

不動明王さまのお声に、
突き動かされるように、ただ進みました。

「さあ、進め」
「力を貸す」「思うように進め」

寺院を継ごう。一乗院を再興しよう。

これが自分に定められた運命なのだ。
「抗えない宿命」というのが、きっと人にはあるのだ。
一乗院を継ぎ、人のために神仏にお仕えしよう。

そんな覚悟を決めた、大峰山奥駈修行となったのです。

その天上界に 一人の明王あり
この大明王 大威力あり
その住処なし ただ人々の 心の中に住まう

爾時大会  有一明王 
そのときだいえに ひとりのみょうおうあり

是大明王   有大威力
このだいみょうおうは だいいりきあり

無其住処   但住衆生   心想之中
そのじゅうしょなし ただしゅじょう しんそうのうちにじゅうしたまう

「仏説聖不動経」より  

なお「真言宗」という呼称の通り、「真言」は
真言宗の開祖である空海・弘法大師が最も重んじた修法です。
真言とは、宇宙の根本で真理そのものである「大日如来が発したお言葉」です。
真言を唱える=梵語(サンスクリット語)の原語そのままに唱えることで
神仏と共鳴し、神仏と一体化することが叶い、
はかり知れない功徳を得る」とされています。

※関連ページ「真言:声に出すだけで得られる神秘の効果」

8世紀の初め頃に『修験道』を開いた開祖の役行者(えんのぎょうじゃ)は、
あらゆる魂と世界の平和を願って
三十三度に及ぶ大峯入峯修行を行ったと伝えられています。

険しい自然に入り、神々の領域である霊山を身一つで歩く。
神の御言葉である真言を唱える。
我が身が宇宙の一部であることを実感し、
神仏と共鳴し、神仏と一体化する。
仏性に目覚め、仏性を磨くための山伏修業なのでしょう。

密教はどこで生まれたの?

密教は6世紀頃、インドで仏教の流れとしてヒンドゥー教の影響を受けつつ成立しました。
中央インドで発展した密教を善無畏(637〜735)が、南インドで発展した密教を善無畏金剛智(671〜741)と不空(705〜774)が唐に伝え、その唐で学んだ弘法大師空海が恵果阿闍梨から直接教えを受け、日本にもち帰って布教しました。

「梵字」とは?

「梵字」は古代インドの古典言語で、さまざまな神仏を一文字で表したものです。
仏教の伝来とともに伝わり、弘法大師空海が日本で体系化しました。
梵字は、大日如来から受け継いだ「仏そのものを表す神聖な文字」であり、一文字で大変なパワーを持つものです。お守りとして身につけたり守護の符とすると厄除けや開運にあやかるといわれています。
また梵字は日本語の「かな」の原型という説もあります。